私の会社では、年一回部署単位の旅行が行われている。今年は「日本文化開放政策が進む韓国への旅」を計画していたが、直前になり「1月の韓国は気温が低すぎる」と言うことで、一転して香港が選ばれた。
1997年7月1日、150年に及ぶ英国統治
から決別した「東洋の真珠」と呼ばれた南海の小島・香港は、中華人民共和国香港特別行政区となった。7月1日の記念式典により、新たに「一国二制度」の基に大国である中国に組み込まれた訳だ。この返還が、香港のとってどのような結果をもたらすのか、これを見極めるには、この先少なくも10年単位での「時の流れ」が必要であろう。しかし、香港は中国に変換されたが、台湾は「二つの中国」の政治的流れの中で、どう生き残って行くのであろうか。いずれにしても、香港返還が台湾と中国統一のモデルケースになることは間違いないだろう。
「エコノミークラス症候群」を恐れる訳ではないが、持病の腰痛持ちで喫煙者の私としては、あまり長い間禁煙を強いられる飛行機に乗ることは好きではない。しかも、行き先が喫煙者に厳しい国だと敬遠したいが、その昔「アヘンを飲めば細く長く生きられる」と信じられていた国なら、そう厳しい国ではなさそうだ。と言う訳で、1月25日(木)の夕刻出発し、27日(土)の早朝に出発して帰国する(株)日本旅行の「BEST
〜きままな旅〜香港3日」と言う慌ただしい旅に出掛けることになった。
1月25日(木)午後3時49分、会社の最寄り駅であるJR京橋発の関西国際空港行きに乗り込む。所要時間は1時間10分。通常ならば、1時間タバコを吸わないのは寝ている時を除いてはあり得ない。この時点から私の禁煙旅行はすでに始まっているのだ。駅に向かう道すがらタバコを、もちろん吸う。当日は朝から雨だったので、カバンを肩に架け、傘をさし、タバコを吸いながら歩く。ここで吸っておかなければ、あと1時間余りは禁煙を余儀無くさせられるのだ。
同行する同僚達は、私より若く、当然のことながら、誰一人として日常的に邪悪な煙りを好んで吸う不健康な者はいない。この点が今回の旅行で、私自身がよく心掛けておかねばならないことである。すなわち、タバコを吸う習慣のない彼等は、私の心理状態には全く気付かないので、喫煙タイムをどこで取るのかは、私自身が判断する必要がある。一人でも他に喫煙者がいれば、「ちょっと一服」は認められるが、この集団ではそれは認められない。ちなみに今回の旅行者は男性5名、女性2名のツァーである。
空港の集合場所で「旅客サービス施設使用料」2,650円を支払い、航空券を受け取ると、出発時間までに私のしなければならないことが2ッある。まず喫煙場所を探すことと免税店でタバコ買うことだ。早くも免税店でおみやげを確保したい女性1名と二人で出国検査を受け、国外に脱出することにした。本当は着ていたダウンの防寒着をコインロッカーに預けたかったのだが、JR関西国際空港駅に着いてから1本もタバコを吸っていない重度のニコチン中毒患者は、タバコを吸うことに気を取られ、そのまま日本脱出になってしまった。
出国手続きを済ませ、すぐに喫煙場所を見つけてまず一服。次に免税店マイルドセブンライトを1カートンを確保した。日本国内では
2,500円する愛用のタバコは、免税につき
1,600円なり。すべての仕事を終え、また一服していると、調査員らしき女性が寄って来て、アンケート調査に御協力願いたい、と言う。「関空までの交通機関は?、昨年1年間に飛行機を利用したか?、行き先は?、観光か商用か?」等。最後に「この関空に望みたいことは?」「ここにコインロッカーはあるの?」「ない」「それは困る。実は、この防寒着を預けたかった」と。
出発時間まではまだかなり時間がある。とりあえず独り搭乗ゲートへ向かう。搭乗ゲート付近に喫煙場所を見つけておくことも、私にとって最も重要なことである。あらゆる建物に入ったら最後、一服も出来ないという、喫煙者に対して最も苛酷な刑罰を科すアメリカでは、考えることも出来ないことであるが、日本では、たとえ空港であろうとも、喫煙場所は必ず建物内部の一角に設置されている。20番の搭乗ゲートを確認し、ゲート近くのエスカレーターを降りたところにある、タバコが吸える店でビールを飲むことにした。近くにはトイレもあるし最高の場所である。あさりの煮付けと生ビールのセットが
900
円。お腹もすいたので、サンドイッチも注文し、またビールを飲んでいると、別行動を取り防寒着を預けようとした5名とみやげ物を物色した1名も三々五々やって来た。もちろんコートは羽織ったままだ。
これからが禁煙との壮絶な戦いだ。マイルドセブンライトを思いっきり吸い込んでから、キャセイ・パシフィック航空エコノミークラス、関西国際空港発19時10分で香港へ飛んだ。4時間の禁煙を覚悟で・・・。
1999年4月、成田-ニューヨークのJFK空港までの13時間の苦行に耐えた私にとって、香港空路4時間は敵ではない。が、つらい時間であることは確かだ。機内での禁煙を余儀無くされた私は、喋るか飲むかしかない。隣に座った新入社員のSさんと喋る。どうしてこの会社をえらんだのか、仕事のこと、先週結婚したTさんのこと、等。そのうちに機内食の時間となり、「スコッチ・アンド・ウォーター」を連発。これしか他に、策はおまへん。
香港と日本の時差は1時間(日本時間午後11時は現地時間午後10時)。現地時間午後11時(以降、現地時間)、3年前に新設された「香港国際機場」無事到着。以前の都心に近い「啓徳空港」は、「香港カーブ」と言うビルの谷間を飛行するスリリングな航路だったらしい。到着すると、さすが中国、漢字があふれている。「抵港=到着」「離港=出発」「訪港旅客=入国者」「洗手間=トイレ」など。至る所に「禁止吸煙=禁煙」「厳禁吸煙 最高罰款
$ 5,000
」の文字。1香港ドル=15円だから、最高7万5千円の罰金である。

出国手続きを済ませ、途中に「両替所(THOMAS
COOK KAI AIRPORT CURRENCY EXCHANGE
LIMITED)」があったので、とりあえずUS 40
ドルを両替えした。日本円にして5千円弱。USドルと香港ドルのレートは
7.1808 で、香港ドルにすると 287.20
ドルである。旅行中の食事代はコーディネーターのT君が払い、後日精算するということで、高いみやげを買わない限り、私は香港ドルは不要なのである。

香港の紙幣は面白い。同じ20香港ドルなのに、その紙幣の図柄が違うことに、後で気が付いた(左の写真)。コインも同様で、クイーン・エリザベス2世の彫られたコインと、国花であろうか、それが彫り込まれたコインの2種類を見つけた。発行している銀行が独自の図柄の貨幣を発行できるようだ。こんな国は他にあるのだろうか。
出発時に旅行社から指定されたBゲートに行くと、現地ガイド・東洋旅行社の林仲豪さん(1963年生まれの男性)が待っていた。バスの止められている駐車場に灰皿を見つけたので「吸ってもいいか」と聞くと、「よろしい」。時に平成13年1月25日、香港時間午後11時20分、初めて中国大陸を踏み締め、吸ったマイルドセブンライトの心地よさ。今日も元気だ、タバコがうまい。慌ただしく吹かして急いでバスに乗り込んだ。社内にも「厳禁吸煙 最高罰款
$ 5,000
」の文字。車内で林さんに「枕銭=10ドル」「トイレ=2ドル」のチップ相場を教わる。九龍(Kowloon)半島南端の尖沙咀(Tsim
Sha Tsui = チムシャッツイ)地区、ネイザン・ロード(Nathan
Road)にあるホテルの「ハイアット・リージェンシー香港(Hyatt Regency
Hong
Kong)」までは30分位で到着。ロビーにはちゃんと灰皿が備えてある。早速一服。とりあえず、部屋に荷物を起き、灰皿が置かれていることを確認して、夜食を食べに出掛けた。
香港は1月24日が旧正月の元旦で、今日は2日目である。街は人通りも少なく、ほとんどの店はシャッターが降りている。一軒のラーメン屋(?)さんに入り、みんなは麺を注文したが、私はビールと筋肉の汁物を注文した。ビールは「サンミゲール」と言う香港製(?)で、そんなにまずいビールではない。灰皿もあり、他の6人には迷惑な話だが、私は吸う。カンビール2本を飲み、勘定はTくんがまとめて支払う。帰国してワリ勘の値段は日本円で
1,440
円だった。ビールを飲んで、その場でタバコを吸える環境がうれしい。香港万歳。
帰りに「セブンイレブン」に立ち寄り、「キリンカンビール」26ドル(390円)と「緑茶」45ドル(675円)を買った。しかし、この「緑茶」は甘くて飲めたものではなかった。ホテルに帰り、シャワーを浴びたが、シャワーが固定されており、このタイプのシャワーは嫌いである。遅くまでテレビを見たが、映画のスーパーインポーズがすべて漢字だが意味不明。同室のFくんには悪いが、ビールを飲みながら、喋りながらタバコを吸った。
翌朝25日、午前8時にロビーに集合し、朝食に出掛けた。新年の3日目と言うこともあり、開いている店が少ない。地下に開いていた食堂で12ドルのお粥を食べたが、結構うまかつた。ここにもちゃんと灰皿はあった。食堂の帰りに新年を祝う提灯や「恭賀新禧」と書かれた文字を多く目にした。このあと同室の二人は、9時から林さんに連れられて市内を観光することにしている。
9時前に現地ガイドの林さんが現れ、マイクロバスに乗り込み、香港観光が始まった。途中ホテルに立ち寄って他の観光客を乗せると思っていたが、我々二人だけと判明。運転手とガイドと観光客2人だけの贅沢なツァーだ。九龍から海底トンネルを経て対岸の香港島に渡り、映画「慕情」の舞台となった九龍と香港島が一望出来る丘・ビクトリアピークに向かう。途中から小雨が降り出したが、傘を持参しているので安心だ。もちろんバスの中は禁煙。吸えば「厳禁吸煙 最高罰款
$ 5,000 」である。

途中、香港のお金持ちが住んでいる南海岸・淺水湾(リパルスベイ)地区に立ち寄る。風水信仰に厚い香港人が建てた高級マンション(億ション)は、建物の中央が10m四方ぐらい「水平方向に吹き抜け」になっている。風水の説により、山から海に抜ける
”気”
の通り道を建物で遮断しないように、と言うことらしいが、こんな建物は効率を重んじる日本にはない。
ビーチには年中海水浴客がいて、冬でも天気のいい日なら充分泳げるそうですが、この日の気温は13度で、小雨。さすがに泳いでいる人はいない。このビーチも映画「慕情」に登場しているというが、私の記憶には全くない。ビーチの東端にある天后(ティンハウ)は、その昔宋の時代、海難から船を守った巫女さんがいたそうで、その巫女さんを祭った社である。すべて香港の篤志家の手によって建立されたもので、今でも守り神として厚く信仰されているそうだ。この日も旧正月の初詣でであろうか、中国本土からの観光客で賑わっていた。ここにも、いたるところに灰皿があり、喫煙家にやさしい所である。今回も携帯灰皿を持参したが、観光バスに乗り込む前にくわえたタバコを、1本入れただけで、あとは全く使用しなかった。ありがたきかな、香港。
さて、いよいよ映画「慕情」で有名な「病院裏手の美しい丘」の舞台となったビクトリアピーク(址旗山=チェケイサーン、標高552m)を訪れます。私にとって映画「慕情」は、もうあのラストシーンの記憶しかありませんが、あの「病院裏手の美しい丘」をこの目で確かめることが、今回の旅の唯一の目的と言っても過言ではない。
ここですこし映画「慕情」のことを記録しておこう。映画「慕情」は1955(昭和30)年に公開されたアメリカ映画。中国人と英国人の混血である女医ハン・スーインの自伝的小説を映画化したもので、監督はヘンリー・キング、主演の女医・スーインにジェニファー・ジョーンズ、その恋人の米新聞記者・マークにウイリアム・ホールデン、その主題歌はあまりにも有名な「Love
is a many splendored thing 」です。
昭和30年と言えば、私は中校に入学した年であり、田舎の映画館で観た記憶はない。その後高校に進学し、福岡県飯塚市にあった映画館で観たのか、大学に入ってから新宿あたりの名画座で観たのか、もう記憶にもないが、あのラストシーンだけは忘れることが出来ない。多くの感動的なシーンの舞台となったのは「病院裏手の美しい丘」だ。女医のスーインとアメリカ人の新聞記者・マークが人目をしのんで逢ったシーン、マークが朝鮮戦線に旅立つ日、二人が別れを惜しんだシーン、マークの悲報を知ったスーインが一人悲しみにくれ、たたずむラストシーンも、この美しい丘が舞台だった。特にラストシーンが印象的だ。マークが死んだことを信じたくないスーインが、数々の想い出多き「病院裏手の美しい丘」にひとりたたずみ、ふと振り返ると、そこには忘れることが出来ようもないマークの姿が・・・。はっとして駆け寄ろうとすると、マークの姿は、ない。そして、あの主題歌「Love
is a many splendored thing
」が流れてくる。そんなモンタージュの映像と音声が今もなお、忘れられない。せつなくも悲しい、だけど甘く美しいラブ・ストーリーの舞台となった「病院裏手の美しい丘」が、ビクトリアピークとされている。
やや雨脚が強くなる中を、観光バスは「病院裏手の美しい丘」を目指す。随分と高い丘だ。丘の頂上には展望台があり、九龍と香港島の市街がビクトリア湾を隔てて一望出来る。パノラマ写真にするべく、カメラに納めた。旧空港の啓徳空港の跡地は空き地のままである。この頂上は、うろ覚えの「病院裏手の美しい丘」とは違うような気がした、直感的に・・・。女医・スーインがマークに逢うために息を切らして駆け上ってくるにしては、このビクトリアピークの山頂は、あまりにも遠すぎるような気がした。つまり「病院裏手の美しい丘」は、もっと中腹あたりの場所ではないだろうか。しかし、私の記憶によれば、「病院裏手の美しい丘」は香港の市街地を見下ろす芝生の美しい丘で、大きな木が生えていた場所であった。このようなロケーションにあったことには間違いはない。まあ、45年前の大昔のロケ現場を詮索しても仕方がない。少なくとも、ここ香港で映画「慕情」が製作されたことは間違いないのだから・・・。もう一度逢ってみたい、映画の中のチャイナドレスのジェニファー・ジョーンズとウイリアム・ホールデンに・・・。
展望台の中には「きんかんの実の鉢植え」が飾られていた。林さんの説明では、どうやら正月のお飾りの定番らしい。帰りは「ピークトラム」というケーブル登山電車で山を降りた。ヨーロッパアルプスで使われている登山電車と同じ性能を誇るスイス製のトラムは、斜面に合わせた斜体で内部は階段構造。最も急角度なところでは、40度の傾斜があり、地球に垂直に立っていても、電車の中では倒れそうな姿勢に見える。近くに見える建物がすべて傾いて見える。不思議と言えば不思議だが、当たり前の事象だ。今夜夕食後、再びこの登山電車に乗って、ビクトリアピークをツァー仲間のみんなと訪れることになっている。
山裾の駅「ピークトラムステーション」で再び観光バスに乗り換える。香港は土地が狭いために、ビクトリアピークの中腹まで建物が建てられている。およそ10年前に、山の上の中高層マンションに住む住民のために通勤用の歩行者用「ヒルサイド・エスカレーター」が建設された。帰国して知ったことであるが、このおよそ1キロに及ぶ歩行者用「ヒルサイド・エスカレーター」の途中には、ニューヨークのSOHO地区・サウス・オブ・ハウストン・ストリートに対抗して、サウス・オブ・ハリウッド・ロードと言うSOHO地区があるという。

今度は市街地にある「文武廟」というお寺を訪れた。文武両道の霊験あらたかなお寺で、中国の初詣でであろうか、大勢の中国人が寺内にひしめいていた。各々の御本尊にはお供物が翔られており、「文の御本尊」には葱がぶらさげられ、、頭が良くなるという言い伝えであろうか、若者達が代わる代わる筆記用具のペンで撫で回していた。天井には蚊取り線香のような渦巻きの線香がぶらさがっていて、大きいものは1ケ月も燻り続けるとか。寺の周りは見上げるような高層ビルが立ち並び、新旧の香港を垣間見た気がした。
次に行ったのは、ガイドの林さんが義理で契約しているであろう、「シルクの店」。いりまへん。そして、今度は「飲茶」、いよいよ昼食だ。林さんが案内してくれた店は、正月気分に満ちあふれた現地の家族連れで満員だった。我々の席はあらかじめ確保されているようで、隅の方の小さなテーブルに着いた。この昼食の「飲茶」はツァー料金に含まれている。15香港ドルを支払って「サン・ミゲール・ビール」を注文し、本場の「飲茶」を堪能した。林さんは別の席で、知り合いとおぼしき人物と食事をしていた。「飲茶」は日本で食べるものと同じで、おいしい。ことに、何という野菜か知らないが、茎が美味だった。高級な店では、茎しか出さないらしいが、ここでは葉っぱもあった。
次が「宝石の店」。いりまへん。バスの中で林さんが「営業」を開始した。お茶や美容クリーム、水虫の薬、等。林さんが案内してくれた店で一切買い物をしなかったから、義理でも何か買ってやらなければ、と思い水虫の薬3箱
4,500 円を 4,000
円に値切って商談成立。Fくんはお茶を買った。携帯電話で注文し、店の付近を通りかかったら、店員さんがバスまで届けてくれる。香港ドルは必要無い。日本円でOKだ。次に行ったのは、ホテルからそう遠くない所にあるショッピングセンター。ここで林さんの観光案内は終了。店内を一通り見て回ったが、買いたい物もないので、一旦ホテルに帰ることにした。

ホテルに帰ったのは午後2時。観光バスの中で発注した「足の裏マッサージ」の時間は午後5時。まだ充分に時間があるので、Fくんと別れてひとり街中を散歩することにした。旧正月3日目の香港は現地人、観光客で溢れていた。ネイザン・ロード(Nathan
Road)の街角で写真を撮りながら、ぶらぶら歩く。大通りに溢れている看板は、車道の上まで突き出ている。突き出さなければ損だと言うように、派手な看板が主張している。交差点には必ずごみ箱と一体化した灰皿が備えられており、ポイ捨てられた吸い殻はない。派手な看板のせいでごちゃごちゃした街中だが、ごみもなく道路はきれいだ。落ち葉は清掃員が片付けていた。
しかし、一歩裏路地へ入ると、古い建物が多くある。窓に取り付けられたエアコンが、今にも落ちてきそうなビルがあちこちにある。ニューヨークと同じように、ここ香港には一軒家はない、と聞く。狭い土地に人々が集中し、今もなお中国本土からの移住者が絶えない。幸いにして、岩盤が堅く、地震がないので、必然的に建物は上へ上へと伸びている。基礎部をわざと細くした高層ビルも建てられている。

ぶらぶら歩いて、九龍公園に着いた。小高い公園の中央には噴水のある池があり、現地人の家族連れや観光客が側のベンチで休息している。太極拳を演じているお爺さんもいる。タバコを吸いながらしばらく休憩し、今度は港の方へ歩き出した。そぞろ歩く人はだんだん数を増している。
20分位歩いただろうか、バスターミナルが見えて来た。どうやらオーシャン・ターミナル港らしい。大型の客船が帰港している。かなりの人出だ。左手のスターフェリー港の建物の中に入ると、焼き芋の匂いがしてきた。懐かしい焼き芋屋さんが開業している。
さらに海沿いに行くと、市民や観光客に人気がある散歩道「尖沙咀海濱花園(Tsim
Sha Tsui Promnard=
チムシャッツイ・プロムナード)」がある。ビクトリア湾を隔てて、先程観光したビクトリアピークや香港島の町並みが見える。パノラマ写真にするべく写真を撮る(上の写真)。この辺りは広々とした公園になっており、大勢の人々が思い思いに休息している。側には美術館もある。この海と山とビルの見事な風景に、しばし眺め入る。ここでもタバコは吸い放題。吸え、吸え、香港万歳。
ホテルに戻ると、同室のFくんは不在。フロントにキーを貰いに行き、しばし休憩。歩き疲れたが、この後は「足の裏マッサージ」だ。ほどなくFくんが帰還。二人して「マッサージ師」待っていると、5時前にガイドの林さんの注文を受けた「おばちゃんとお兄ちゃん」風の「足の裏マッサージ」が来室。早速やってもらうことにした。
A4のコピーを1枚差し出された。「健の寶」とあり、「足の裏のツボ=反射區總合圖」が中国語で図解されている。旧仮名遣いの漢字だが、理解はできる。店名「足のウラ健康治療専門店美容センター」と店の住所「九龍 プラト アバンニュー27号 トン ワイ 商業ビル 6階」は日本語表記だ。これを漢字で表記すると、店名は「足底穴位治療、美容中心」、店の住所「九龍尖沙咀寶◯(革に力=「ことえり」にはなかった)巷27號東匯商業大廈6樓」となる。
図解された足の裏のツボを見ながら、マッサージをしてもらう。私はお兄ちゃん風のマッサージ師がやってくれるらしい。「痛くしないで下さい」とお断りして、始めてもらう。時々「ここ小腸」とか、「胃」とか、ツボを言ってくれる。初めは気持ち良かったが、ツボによっては「イテテテ」となる。痛いところが疲れている部分だ。
図解書「反射區總合圖」によれば、「足の裏のツボ」は、右足36ケ所、左足同じく36ケ所、内側16ケ所、外側15ケ所、足の甲12ケ所。もちろん「反射區=ツボ」は重複している箇所もあるが、このツボの全てを約45分かけて、丁寧に揉みほぐしてくれる。スッチーさん達は、時間が出来ると、このマッサージを愛用している、と聞くが、これはなかなかいい。
すべてのツボを押さえたら、先程見ていた「反射區總合圖」に赤いホールペンで、弱っているツボに丸を付けてくれた。見ると、十二指腸、側頭部三叉神経、小腸、座骨神経、肩、膝、など、7箇所が弱っているらしい。
料金だが、香港ドルの持ち合わせがないので、米ドルで支払いたい、と言うと、「ダメ、日本円でOK」と言う。林さんの話では、320香港ドル(日本円4,800円)と聞いていたが、日本円では、5,000円であった。

次は、ツァー仲間と、夕食の時間だ。ツァーコンダクターのTくんが探して予約した中華レストランに向かう。宿泊した
Hyatt Regency Hong Kong から近くの Kowloon Hotel 地下2階(Lower
level 2,The Kowloon Hotel,right next to the Peninsula Hotel =
九龍酒店地下二層、半島酒店◯(傍から"にんべん"を取る))にある「環龍閣=Wan
Loong
Court」だ。なんとかいう名前のコースの料理を注文し、「とりあえずビール」だ。いいかげんビールを飲んでから、次はワイン。もちろんタバコも吸う。私は甘口の酒は嫌いなので、渋くて安くて飲みごたえのある赤ワインを大分飲んだ。途中、トイレに行ったが、最初はチップを渡し忘れたので、二度目にいったとき、4香港$を渡した。

次は、ビクトリアピークからの夜景を堪能するために、スターフェリー乗り場に直行する。乗船運賃は1.70香港ドル。乗客は少なく10分程度で対岸の香港島セントラルへ到着。ここから的士(Taxi)に分散して、中環駅へ向かう。傾斜した車両の登山電車で山頂に着くと、昼間来た展望台に登り、しばし東洋の真珠・香港の夜景に見とれた。ビクトリアピークからの眺めは昼間とはまた違った美しい夜景だ。女医・スーインと新聞記者・マークもこの夜景を見ながら、何を語ったのであろうか。そんなことを考えながら、この夜景をカメラに納めた。展望台近くにあるみやげ物屋さんをちょっと覗いて、下山。今度はスターフェリー乗り場まで巴士(Bus)に乗る。再びスターフェリーで尖沙咀(Tsim
Sha Tsui =
チムシャッツイ)に戻り、今度は今見て来た夜景を正面から眺めることにした。港の近くにあるリージェント・ホテルの2階ラウンジに陣取り、ビールを飲みながら香港の夜を楽しんだ。もちろん、タバコを吸いながら・・・。

たった二泊三日の香港だったが、中華人民共和国香港特別行政区となった香港の現実を知り、「慕情」のロケ地を見ることが出来、大変に面白い旅だった。それに機内は別にして、タバコが自由に吸える環境が嬉しい。
左の写真は、香港国際機場(空港)の出国ゲート65番の近くに「iMac」12台が並んでいた。すべての「iMac」がインターネット接続され、出国するまでの間、メールを送ることが出来るように設定されている。どのような経過でここに設置されたのかは知る由もないが、嬉しい情景だった。

「iMac」を触ってみたい気持ちはあったが、なにしろ、空港で出発時に私がしなければならないことは、タバコを吸い溜めすることである。出発搭乗口の近くに喫煙室がなかったため、Macintosh
のOSが何であったのか、を確かめるより、喫煙を優先した。
空港内の喫煙室は市内のホテルやレストランと違って、完全に密閉されたガラス貼りの隔離部屋になっている。香港で一番喫煙に厳しい場所であろう。
帰国直後の1月31日(水)、静岡県焼津市上空で羽田発那覇行き日本航空907便と釜山発成田行き日本航空958便が急接近し、回避する際の操作で41人が重軽傷を負う事故が発生した。航空管制官が便名を取り違えたという初歩的なミスらしいが、あんじょう頼んまっせぇ〜〜〜。
帰国してみると、スモーカーの私には、ちょっと気になる新聞記事があった。
1月30日の朝刊には、「タイトルを取るには、まず禁煙から」とあり、日本棋院の東京棋士会(会長=杉内寿子八段、235名)は4月から対局室を全面禁煙にすることを決めたらしい。名古屋と大阪の棋士会も同調するようだ。囲碁の世界には、タバコを吸う人が少ないらしいが、「沈思黙考」に一服はいいと思うけどなぁ。ちなみに、日本将棋連盟は特に取り決めはないそうです。もう、うるさい「囲碁指し」は止めにして、「将棋指し」にしときなはれ!!
【ブリュッセル2001年2月1日、共同】欧州連合(EU)は2002年9月末から、たばこの箱に喫煙の有害性を明確に警告する文を印刷することを義務付け、「マイルド」や「ライト」などの用語の使用を禁ずる厳しいたばこ規制新法を施行する。
EU外交当局者によると、EU閣僚理事会と欧州議会が2月28日、新法の内容に合意。双方は近くそれぞれ投票で法案を最終承認する。
米たばこ会社RJRナビスコの海外事業部門を買収し、欧州市場で「マイルドセブン」の販売拡大に取り組んでいる日本たばこ産業(JT)なども事業戦略の再検討を迫られそうだ。
合意によると、たばこ会社は将来、箱の表裏にそれぞれ30〜40%のスペースをさいて喫煙の害に関する明確な警告文を印刷するよう義務付けられる。文案として「喫煙は命を奪います」などが検討されている。また消費者に誤解を与える恐れのある用語の表示を禁じている。
私が愛煙している「マイルド・セブン・ライト」の名前が使用出来ないのなら「ミャールド・セブン・リャート」はいかがでしようか。英語表記は「Myaald
Seven Lyaate Gold &
Silver」。名古屋で爆発的に売れまっせ。日本名通称は「きんさん・ぎんさん」でどうでしょう、JTさん。