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大阪シナリオ学校 大衆芸能科
〜 笑わす門には福来る 〜
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2000年1月10日
2002年3月31日加筆
昭和50(1975)年6月、雑誌「上方芸能」編集部の勧めもあって、大阪シナリオ学校(校長は、漫才作家・秋田実先生)大衆芸能科に入学し、大好きな「落語」を中心とした「大衆芸能一般」を勉強することにした。講師陣は、秋田実先生、吉田留三郎先生ら関西大衆芸能界の重鎮を初めとして、現役バリバリの作家先生、NHK・民放演芸プロデューサー諸氏であった。毎週月、水曜の夜、京阪天満橋の近くにある教室に通った。新作落語を書きたい、とは考えなかったが、卒業論文ならぬ「卒業台本」を書かなければ、卒業出来ない(そら、そうや。シナリオ学校やから)ことを知り、好きな落語の台本を書く勉強をした。

秋田実先生の講議は、面白く参考になる話ばかりでした。曰く「漫才は立ち話であり、落語は短編小説だ。オー・ヘンリーの短編小説、あれは落語だ」「言葉を、もう一度検討しなさい。たとえば、目に入れても痛くないと言う言葉。そこに笑いが生まれる」「面白いネタは、実社会にいくらでもある。常に面白いことがあれば、記録しておきなさい」等、「落語の歴史」「漫才の歴史」「大阪の笑い」についての研究成果を講議された。
私たちは大衆芸能科の二期生で、同級生には、少年落語家・笑福亭小つることイラストレータの故・和多田勝さん、現漫才作家の中谷勝さんもいました。一期生には、現構成作家の古川嘉一郎さん、現役高校生漫才作家の杉村美奈子さんらが活躍しています。どちらかと言うと、漫才を書きたい人が多く、新作落語を書きたい人は少なかった。私は、桂文紅師匠のもとで、新作落語の勉強をしました。私の卒業台本「トラ箱」は、後年、桂福団治師匠に口演して頂きました。
当時の卒業証書によれば、「大阪シナリオ学校大衆芸能科前期」は、昭和50(1975)年6月に始まり、10月6日に終了し、「同後期」は10月から始まり、翌年2月4日に卒業している。さらに私は「大衆芸能科の専攻科」に進学し、昭和51(1976)年5月26日に、全課程を終了している。
この間に住んでいたアパートが焼失し、大学の卒業証書が焼けたため、私の「卒業証書」は、もう、これしか残っていません。大事な大事な最終“学歴”を証明する「卒業証書」なのです。
大阪シナリオ学校卒業後、古川嘉一郎さんの呼び掛けで、一期生と二期生が集まって「どぶ板」という「落語漫才台本雑誌」を出しました。私も「ばてれん鏡」という古典風新作落語を載せています。

大阪シナリオ学校事務局の紹介で、当時龍谷大学の学生で、高校時代から「素人落語・
大阪風の会」を看板に活躍していた雲水坊風之助(現、帝塚山学園高等部教諭、桐
畑治)くんに出会い、新作落語「うらのちょんべえさん」「となりの男」を書かせてもらい、高座にかけました。その後私は、
新作落語を書くことから、遠ざかってしまいましたが、風之助くんは、素人であり続けることにこだわり、毎年北浜のコスモ証券ホールや地元奈良市で、「素人落語・
大阪風の会」改め「演芸風組」の仲間と共に、活動を続けています。
平成14(2002)年、高校2年生から始まった雲水坊風之助の落語公演活動は、「素人落語・
大阪風の会」「演芸風組」を経て、30年目を迎えることとなり、「雲水坊風之助
落語30周年記念公演」が、3月19日コスモ証券ホールで行われた。
大阪シナリオ学校卒業直後、一時期ではあったが、彼の新作落語を書かせてもらった私は、この記念すべき公演のパンフレッドに一文を要請された。
「風之助の新作落語」とした拙文は、新作落語「うらのちょんべえさん」「となりの男」を書いていた頃の状況を補足するために、ここに公開する。
大阪シナリオ学校 http://scenario-net.com/