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冬枯れの朝、高槻に死す

小太ちゃん、安らかに

平成17(2005)年2月18日

午前8時28分永眠、享年7歳

 

2005年2月19日

小太郎は、1998年3月に田口家の一員になり、三男坊として育てて來ました。長男と二男が独立し家を出てからは、毎年年賀状にも名前を入れておりました。年賀状といえば、1999年が「兎年」であり、「小太郎の写真」を年賀状に印刷しました(左の画像)。

朝出勤する時は「小太ちゃん、お留守番しといてや」と声をかけ、帰宅すれば「小太ちゃん、おりこうさん、してたか」と、愚妻よりも先にその労をねぎらいました。口数の少なくなった老夫婦だけの生活には欠かせないペットでした。

抱かれることは大嫌いでしたが、夏には愚妻が抱っこして夕涼みにも行きました。私が椅子に座ってビールを飲んでいると、長いヒゲでそっと足首に触れて来ます。びっくりして「小太ちゃん」と呼び掛けても知らん顔です。飼い主に媚びを売ることは一切しませんが、湯上がりの裸足を舐めることは好きでした。また、つま先の下に頭を入れようとすることもあります。これは「足で頭を撫でてくれ」という合図です。いつまでもいつまでも頭を撫でさせます。手で頭を撫でてやろうとすると、逃げます。おそらく手だと捕まえられる、と本能的に思い込んでいたのでしよう。

犬の泣き声や大きな音に怯え、ただひたすら逃げることを考えていました。前足で顔を洗う仕種や後ろ足で立ち上がり遠くを見ようとする格好は、本当に可愛いものでした。時々は「雪ウサギ」の形で、また身の安全が確認出来たならば、両足を延ばしてゴロリと寝転んでいました(右は「ありし日のくつろぐ小太郎」2003年8月撮影)。鳴くこともなく、いつも静かにしていました。

台所と隣の和室がお気に入りの場所です。カーペットが敷いてあるので、歩き易いのでしよう。滑る廊下は歩き難そうでした。しかし、ドアが空いていれば、滑る廊下に出て、洋間にも進出していました。

「わるさ」もしてましたね。柱を齧る、ふすまを破る、貼ってある紙を食べる。小太郎の口が届くところは、きれいに喰われてしまいました。

昨年の12月頃から、急に餌を食べなくなり、心配した愚妻が動物病院で診察を受けたところ「ウサギにしては長生きですが、風邪をひかぬように注意が必要です」と言われ、薬を貰って来ました。小太郎の餌は乾燥した野菜等数種類の固形物ですが、これを小さな擂り鉢で粉にし、動物に飲ませるジュースで練り、爪楊枝で食べさせていました。擂り鉢で粉にすることは、時間がかかるため、最近は電動のジューサーを購入していました。

そして2月18日(金)の朝、いつもは愚妻が起き出すと、寝床にしている衣装ケースの“のぞき穴”から首を出し、「早く出してくれ」とせがむのですが、今日はトイレの中で雪ウサギの形でじっとしています。愚妻が気がつき、衣装ケースのフタを開け、身体を触ってもじっとしています。「小太郎、死んだんと違う」と声を挙げました。

私は小太郎の身体を触りました。お腹の辺りが動いていますが、体温がいつもより低いのです。「これは病院に連れて行った方がいいな」と言い、朝飯を済ませました。(左は「バカ殿と2ショット」1999年7月撮影)

出勤の支度をしていると、突然物音がしました。小太郎がトイレから飛び出し、両足を延ばして倒れています。足が少し震えています。「小太郎が死ぬ」そう思いました。私と愚妻は小太郎の頭を撫でながら言いました。「小太ちゃん、おりこうさんやったね」 時に午前8時28分、私と愚妻、義姉にみとられて小太郎が永眠しました。享年7歳の短い生涯でした。人間で言うと何歳になるのでしょう。夜には本当の飼い主である長男が弔問(?)に訪れました。

私達はもうすぐ親父の17回忌のため、九州に帰省することにしていました。その間、小太郎は動物病院が経営しているホテルに預かってもらわなければなりません。小太郎がホテルに泊まることは初めてではありません。しかし、餌をたべない小太郎を預けることが心配な愚妻は、「あなただけで行って来たら」とも言っていましたが、ひよっとしたら小太郎はそのことを知っていたのかもしれません。小太郎はそんな心優しいウサギでした。「小太ちゃん、最後の最後までおりこうさんやったね」

 

私のおもちゃ箱 目次  

我が家の小太郎 ボクも益々元気です   

川柳 〜 隠居の戯れ言 〜


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