季刊誌「上方芸能」

〜 上方芸能界の過去・現在・将来を追う 〜

2000年1月10日

田舎で落語をラジオで聴いていた高校生が、大学生となり上京し、落語の芸に直に接するようになると、寄席通いが始まるのに時間は掛らなかった。もっぱら、新宿の「末広亭」に出入りし、4年間の学習で「東京落語」には、ある程度聴き慣れていた。が、しかし「上方落語」は「末広亭」で聴く初代桂小文治、二代目桂小南、三代目三遊亭百生師匠の噺を知っている程度であった。桂小南師匠の落語は、上方の匂いのする噺を解り易く聴かせてくれる芸風であったが、桂小文治、三遊亭百生師匠は、上方落語をそのまま東京で聴かせる芸風であり、関西弁に慣れない九州の田舎者には、特に聴き取り難かった。さらに、小文治師匠は、早口の関西弁であり、解らなかった。そんなことがあってか、小文治師匠は噺をそこそこにして、踊りを踊って高座を降りるのが常であった。私の「上方落語」に対する印象は、「言葉が解りにくい」ということであった。

大学を卒業し、就職した大阪での昭和40年以降、落語を聴くために道頓堀「角座」をよく訪れた。最初に「角座」を訪れた時、東京の寄席と比較して、その客席の広さに驚いた。この広さでは「落語を演じる芸人と、それを観聴きする客とが共有する空間」がデカ過ぎる、というのが、今も変わらない印象である。当時、六代目松鶴師匠が最も油の乗った芸を披露していた頃だ。「らくだ」「高津の富」「一人酒盛り」等が思い出される。「らくだ」で大阪府民劇場賞(昭和40年)、「市助酒」で芸術祭優秀賞(昭和45年)を受賞した頃だ。三越百貨店でも「三越落語会」が開かれており、確か「東の旅」を「通し」で聴いた記憶がある。当時の噺家さんは、三代目(先代、故人)林家染丸師匠が、あの福々しい笑顔を振りまいており、橘之円都(故人)師匠も元気で高座を勤めていた。六代目松鶴(故人)、三代目米朝、三代目春団治、三代目小文枝(現・五代目文枝)、四代目文紅、我太呂(のち、五代目文我、故人)師匠らが、仁鶴さんら若手のリーダーとして先頭に立って頑張っていた頃だった。

上方芸能創刊号

そんな頃に「上方落語をきく会」という落語会があり、当時私の会社の近くの梅が枝町にあった「電子会館ホール」で開かれていた。その時配布されていた会報が「上方芸能」という冊子である。今ならば、小学生の学級新聞でも、ワープロで書かれていると思うが、当時の「上方芸能」誌は、手書きのガリ版であった。「上方芸能」という題字は、秋田実先生の手書きであり、先生自ら「オチの研究」を書かれていた。

平成10年(1998年)10月、木津川計「上方芸能」編集長が「第46回菊池寛賞」を受賞した。「芸能の衰亡は民族の興亡にまで関わるとの理念に基づき、私費を投じて季刊「上方芸能」を刊行し続けて三十年。上方の伝統芸能と大衆芸能の継承と発展に尽し、次代を担う人材を育てた」功績によるもの。雑誌編集者では、「週間朝日」編集長・扇谷正造氏、「暮しの手帳」編集長・花森安治氏についで三人目とか。手許の「上方芸能131号」(平成11年1月10日発行)に、木津川編集長が書かれた「菊池寛と大阪文化 菊池寛賞受賞のことなど」という一文があり、「上方落語をきく会」発会当時の状況が、編集長の私生活と共に述べられている。

それによると、1968年(昭和43年)1月に、漫才作家・秋田実氏、演芸評論家・吉田留三郎氏らの協力を得て「上方落語をきく会」を発会し、第1回目の落語会は、1968年4月26日に開かれている。私は「上方芸能」第4号からの愛読者であるが、大衆芸能、特に落語に興味があり、後年、「上方芸能」誌復刻版(1〜20号)を二度買い求めた。一度目は、発刊直後。二度目は、借りていたアパートが火災により焼けた後である。その当時の編集専従者・葛野好子さんに無理矢理お願いして、手に入れた貴重な一冊である。

(余談だが、この火災で失った演芸関係の書籍、落語のレコード・収録テープは、数多い。買い戻せるモノは、直ぐに買い求めたが、「桂米朝上方落語大全集(全23巻)」のレコード・ジャケットに、直にしてもらった米朝師匠のサイン、限定復刻版「上方はなし(下巻)」等が戻らなかった。)

上方芸能132号

昭和45(1970)年9月に発行された第15号からは、現在発刊しているような立派な冊子となり、年4回発行されている。何年前の年賀状に「100号までは、頑張って」と書いた記憶があるが、すでに130号を突破した。

郵送された「上方芸能」は、どのページから読むのが正しいか? 私の場合は、まず「鬼ガ島日記」と高宮信一さんの「イラストルポ」。ここで「上方芸能編集部諸氏の日常を取材」し、次に「京町掘通信」を読み「森西編集局次長の精神衛生状態を掌握」し、それから、木津川編集長の「編集後記」を読み、「上方芸能の言いたい事を確認」して、おもむろに、本文を読む。これが正しい「上方芸能」の読み方です。

であったが、1999年4月からは、森西編集局次長が局長に昇格し、木津川編集長が代表になり、8月号からは「編集後記」を森西編集局長、「編集前記」を木津川代表が担当するようになった。個人的には森西編集局次長の「京町掘通信」が好きやってんけどなぁ。時々出るぼやきが・・・。

この間、木津川計編集長は、立命館大学の教授となり、1998年には「第46回菊池寛賞」を受賞した。森西真弓編集局次長は、1999年春から池坊短期大学の助教授となった。

1999年1月29日(金)、「上方芸能」創刊30周年・菊池寛賞受賞記念を祝うパーティが、ホテルニューオオタニ大阪で開かれ、私も愛読者の一人として参加した。このパーティの「呼びかけ人」が人間国宝だらけのもの凄いメンバー。会場で懐かしい方ともお会い出来ました。私がトイレに行くと、米朝師匠が用を足しておられましたが、師匠の隣に立った男の「人間国宝の隣とは、恐れ多い」。米朝師匠「そんなあほな」。

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